そしてモトに戻る。でもそれはムカシではない。
2004年1月20日一杯考えたあげくに
結局モトに戻る
そんな感じがする。
それはモトに戻ったのだけど
以前よりも確実に異なる。
少し考えた分、行動の根拠が含まれる。
それを腹黒いというのかもしれない。
それを計算というのかもしれない。
それを偽善というのかもしれない。
でも、そうなんだから仕方ないぢゃん…。
開き直って、強くなるしかないかも。
人間は人間だけど、結局はイキモノなんだってこと。
すこし知恵の実をかじっただけ。
すこし洞察ができるようになっただけ。
ただそれだけの違いで、僕たちは存在する。
猿と人間は遺伝子で言えば、たかが1%の違い。
それなのに、彼らを僕らはミセモノにしてる。
人間同士の違いは0.1%もないんだって。
でも僕たちはお互いに嫌ったりする。
それは仕方がないことだけど、仕方なくもないこと
でもあるんだよな。
現実に生きていない僕たちなんだから。
とあるゲームの言葉
「すべてはマボロシ」
でも、逆にいえば
そのマボロシを僕たちは現実に変換できる
ということ。
そこには自由があるんだ。
選択肢という規定された自由ではなくて。
あとは要らないものをこそぎ落としていくだけ。
そしたら、モトに戻るのかもね。
生きるっていうこと。
祈るっていうこと。
叫び。
アリバイの逆。
現場不在証明ではなく、
現場存在証明。
聞こえたら叫び。
聞こえなかったら祈り。
いつか帰ってこれたら
自分に
「お帰り」
って言わなきゃね。
何年後になるのかも分らないことだけど。
死ぬ前に起きるかどうかも未確定なことだけど。
希望だけならタダだから。
どうせ自分に都合の良い希望なら
抱いてもいいでしょう。
「期待しなかったら、裏切られない」
っていう選択をするものいいでしょう。
恣意ということで。
切り取ってみたら
現実というものは
あんがい、脆くて、儚くて
だからこそ抱いてみたら
砕けてしまうかもしれなけど
また創れる可能性もある。
それは希望。
自分に都合の良いゼロではない可能性。
言い訳のループを構築する。
そうすると
言い訳が見えなくなってしまい
無意識というシロモノに浸透して
一体化するのかもしれない。
言い訳であったものが
正当化で都合の良い合理化が
自分という本質のなかに刻み込まれて
イキモノになる。
原点回帰。
モトに。
でもそれはムカシの自分ではない。
モトといっても
原点に帰ってくるっこと。
結局モトに戻る
そんな感じがする。
それはモトに戻ったのだけど
以前よりも確実に異なる。
少し考えた分、行動の根拠が含まれる。
それを腹黒いというのかもしれない。
それを計算というのかもしれない。
それを偽善というのかもしれない。
でも、そうなんだから仕方ないぢゃん…。
開き直って、強くなるしかないかも。
人間は人間だけど、結局はイキモノなんだってこと。
すこし知恵の実をかじっただけ。
すこし洞察ができるようになっただけ。
ただそれだけの違いで、僕たちは存在する。
猿と人間は遺伝子で言えば、たかが1%の違い。
それなのに、彼らを僕らはミセモノにしてる。
人間同士の違いは0.1%もないんだって。
でも僕たちはお互いに嫌ったりする。
それは仕方がないことだけど、仕方なくもないこと
でもあるんだよな。
現実に生きていない僕たちなんだから。
とあるゲームの言葉
「すべてはマボロシ」
でも、逆にいえば
そのマボロシを僕たちは現実に変換できる
ということ。
そこには自由があるんだ。
選択肢という規定された自由ではなくて。
あとは要らないものをこそぎ落としていくだけ。
そしたら、モトに戻るのかもね。
生きるっていうこと。
祈るっていうこと。
叫び。
アリバイの逆。
現場不在証明ではなく、
現場存在証明。
聞こえたら叫び。
聞こえなかったら祈り。
いつか帰ってこれたら
自分に
「お帰り」
って言わなきゃね。
何年後になるのかも分らないことだけど。
死ぬ前に起きるかどうかも未確定なことだけど。
希望だけならタダだから。
どうせ自分に都合の良い希望なら
抱いてもいいでしょう。
「期待しなかったら、裏切られない」
っていう選択をするものいいでしょう。
恣意ということで。
切り取ってみたら
現実というものは
あんがい、脆くて、儚くて
だからこそ抱いてみたら
砕けてしまうかもしれなけど
また創れる可能性もある。
それは希望。
自分に都合の良いゼロではない可能性。
言い訳のループを構築する。
そうすると
言い訳が見えなくなってしまい
無意識というシロモノに浸透して
一体化するのかもしれない。
言い訳であったものが
正当化で都合の良い合理化が
自分という本質のなかに刻み込まれて
イキモノになる。
原点回帰。
モトに。
でもそれはムカシの自分ではない。
モトといっても
原点に帰ってくるっこと。
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