友へ。

2005年3月6日 対話の記憶
今日は友達の送別会。
急に発つということだったので、色んな予定をほっておいて(笑)送別会に出かける。

不思議なつながりだよね、僕らってさ。
あんまり共通点がないなぁと思っていたら、今日大きな共通点を見つけた。今まで気がつかなかったのが不思議なくらい。

YU君は今日、うれしいコトバをたくさんくれた。

どうやら、彼の彼氏さんは僕と似たしゃべり方らしい(笑
そんなことを言ってくれるのが嬉しかった。
あぁ、彼の中には僕がちゃんといるんだなって感じれた。
そんなことがとても嬉しかった。

遠出からの帰り道、夕焼けが見えた。
彼が
「キレイな夕焼けだね。ありがとう。」
って言った。
初めは夕焼けに対して言ったのかと思った。
そしたら、ありがとうってコトバは僕に言ったらしい。
気が付いてなかったので、説明してくれた。
鈍感ですんません(笑
普段あんまり、そうしたコトバを言わない人だったので、まさか自分に
言ってくれているのだとは思いもしなかった。
素直なんだけど素直に見えない素直だからね、彼は。

そのコトバは真っ直ぐ、ボクに届いた。
時差はあったけどね。
こんなに嬉しい「ありがとう」。
この気持ちは一生、心に刻み付けていきたい。

そのコトバで十分なんだ。
今日、ここに、この時に、キミと一緒にいれて良かった。
キミに出会えて良かった。
遠くに言ってしまうけど、
不思議と遠く感じない。
必ず会えるという確信がある、何故かね。

はっきりいって、
かなり寂しい。
だから昨日は抱きしめた。
一度じゃ足りなくて、もう一度。
温かいな、人って。
でも最後じゃないから。

旅立つ友へ。
心配は全然してないよ。
キミはいつまでもキミであり続けるのだろうから。
キミは必ずキミのペースで歩き続けるのだろうから。

しばらく会えないのは事実だ。
でも、近いところにいる、と感じる。
彼氏の中で、ほんの少しでもボクを思い出してくれるみたいだし(笑

しばらく会えないという意味で
最後の日に
キミは大切な気持ちをくれた。
ありがとう。
大好きだよ。

いってらっしゃいっ!
「そらさんと私の恋愛観って似てるのかもね」

カミングアウトした同僚に言われた。
ボクもそう思う。
SKさんは、不幸を求めているようなところがある、恋愛に関して。
ボクもそうかも。

あくまでも、「ような」であり、不幸を求めているわけじゃない。

猛烈に、好き好きと言われると一歩、どころか、数歩ひいてしまう…。
うれしいのだけど…。
どうして、そんなことが言えるのかなってさ。
特に、今のボクラの状態はそうだと思う。
まだ2度しか会ってない。
今こんなに熱い感情が放出していたら、すぐに枯れてしまうんじゃ、
っていう不安もある。
だからこそ、ボクはあまりそういった感情を出さないのかも、わざと。
でも、「出さない」ってことは、すでに存在するってことだから、意味
はあんまりないかもね。

確かに、好きだよ。
でも、YTさんの好きとはベクトルが違うんじゃないだろうか?
温度差はキツイ…。

彼のことが見え始める。もっとたくさんイイところが見たい。
予想以上に子供っぽいところはイイところなんかなぁ…。
「甘え甘えられたい」
彼も同じかもしれない。

何か、恋愛に関してシビアなんかな。
そんなジブンが少し切ない。

早く会いたい。
確かめたい。
ボクと彼の気持ちを。
「夢に一歩近づいたんだな」
ある先輩に言われた。
おいらの配置転換の話をした時に。
そっかぁ、とういう考え方もありだよな。

おいらの夢を覚えていてくれたのが、単純に嬉しかった。
その何気ない一言が嬉しい。

いつもは気分屋で恐い先輩だが、この瞬間は親近感が沸いた。
ジブン勝手だけどね。

ありがと。
友達が赤ちゃんを産んだ。
昨日、電話で話をした。
「こんなの(赤ちゃん 笑)が出てくるのって不思議な感じ。」
そのコメントも不思議だぞ(笑
「お母さん」っていう実感が、まだあまりないそうだ。
でも、声はもう、「お母さん」。
そんな時、赤ちゃんの声が聞こえた。
「お乳をあげてるんよ」だって。
何か、赤面してしまいそう(苦笑

でも、赤ちゃんの声が聞こえた。
すっげー嬉しい。
命が一つ増えたんだ。
「出生率、増やしたよ」だって(笑

すごい優しい声になったね。
聞いていて、こっちも優しくなれる。
そんな声をたくさん、赤ちゃんに聞かせてあげてください。
キミなら、きっとイイお母さんになる。
真剣に悩めるキミだから、きっとイイお母さんになる。
ボクが、断言しても説得力はないけれど、なれるさ。
イイ子に育つよ。
「今日は大活躍だったね、そらちゃん」

ある当事者の人に言われた言葉。
この言葉って、本当は言われちゃいけんのんじゃないんかなぁ、
僕らの職種にとっては…?
縁の下の力持ち、に似ている部分がある職種だと思うんだけど。

スタッフとして、出すぎ?
それとも、今までが出なさ過ぎ?
そんそバランスが今はまだ分からない。

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本当に、HN氏がイヤになった。
そんな自分かってな…。
思わず、親にも愚痴ったさ(TnT)
もう、仕事辞めるかもってことも。

まだ、辞めたくはない。
まだ何も分かっていない。
本当のHN氏のことも分かっていない、と思う、いや、思いたい。
仕事の面では尊敬している。すごすぎるでしょう。
でもさ
人間として、というか。
性格的なもんなんかなぁ、
どうしても、イヤだ(TnT)

まわりの人の方がよっぽど大人じゃん…。

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「何かそらちゃんといたら、和むなぁ。何か男といるというよりも
女といるような和やかさがあるなぁ」
と言われた…。
褒め言葉…よな…?
つーか、ある意味、バレている…?

そんな雰囲気だったのに、HN氏の登場でその場が重たくなった。
その雰囲気の中で、縮こまっている自分も情けない。
できるだけ、普通にしようとしたけど、多分、バレているのだろう。

いつでも、自分らしくありたい。
誰の前でも、自分らしくありたい。
いつまでも、人の目を気にしたくない。
特にHN氏には負けたくない(TnT)
『みなさんの言葉が、宝石みたいにキラキラしていて
 たくさんあふれていて。』

研修中にある人が言った言葉。
彼女も病気を抱えながら、生きている。

ほんとうに、そう思える。
そう思った。
あまりにも真っ直ぐで、あったかくて。

色んな人と出会えた。
この3日間が夢のようだった。

色んな人がいた。
職種も様々。
出身も様々。
考えも様々。
だけど、ココにいる。

そんな事実が、言葉がキラキラしている。
たくさんの言葉や笑顔があふれている。
そこにいても、良かったんだよね。
居場所という安心がある場所。

ありがとう。

不安。

2004年7月6日 対話の記憶
「不安ってどこから来るんですか?」

唐突に施設の利用者からされた質問…。
この人はいつも唐突だけど、やはり今日も唐突だった…。

この人はいつも不安に苛まれているように思える。
だからこそ、不思議になるのかもしれない。
奇遇にも、僕も今朝同じようなことを考えていた。
不安ってなんなんだろうなぁって。

自信のなさから来るのかもしれないし、
全く予想ができないということから来るのかもしれない。

漠然としたモノ。
「不安」としか名づけられないもの。
名前がわかれば、その分だけきっと安心するんだろうな。
だからこそ、その漠然としたモノに「不安」という名前をつけて、
一時の安心を得るのかもしれない。その実、全く変わりないのにね。

どこから来るのかは分からないけど、
そんなわけの分からないモノに振り回されるのも面倒だ。
不安だと感じていてもあんまり意味はない。
まぁ、不安も防衛機制の一種だとは思うから、その意味では意味があ
るのかもしれないけどね。気持ちの上では、免疫が多少はできる。

でも、不安は居心地が悪い。
だから、吹っ切る。
考えてもしょうがないことは、考えない。
明日死ぬかもしれない、という不安を
今一生懸命考えていても、結果が来なければ分からないこと。
「杞憂」。
クビでもお叱りでも、今から心配していても、しょうがないことなん
だよな。そんな不安定な未来に不安がるよりも、今この瞬間を懸命に
楽しみたい。

ファイトだー!
冗談半分に言ってくれたのだが

「逃げるな」

そう思うよ。
どこかしら、逃げてる自分がいたんだ。

面と向かって逆らうのは、苦しい。
でも、きっと何か見えるよな。
流れにそった見方じゃ見えないモノが。

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逆境を楽しむ。
もう一人の自分が必要。
冷静な部分の自分。
感情を持っている自分じゃないリセイとしての自分。
そのリセイとしての自分に感情を持たせる。
つまり、楽しませる。
苦しんでいる自分がいるのを楽しむ。

まぁ、出来んかもね…。
近いことは出来るけど。
セルフモニタリング。メタ認知。
自分を少し、自分から切り離す。
そしたら、別なモノが見えてくる。

それも処世術の一つかも。
究極の形が「多重人格」。
そこまではなりたくないけどね。
統合するのが大変そうだから。
別々に情報があるのは大変そうだ。

ストレスを喰らう勢いで、やってみっぺ。
「(ある当事者を)怒らないからじゃないか。
 親なら怒っているぞ。
 ただ、嫌われないようにしているだけじゃないか?」

僕が言われた言葉ではないが、当てはまる言葉。
優しさについて考えさせられる。

都合の「イイ」だけの優しさじゃない、
真っ直ぐの優しさで接したい。

怒ることも必然の可能性。
人と人との関係なんだし。

結婚観。

2004年3月9日 対話の記憶
結婚に必要なものはどうやら
「愛」
よりも
「責任」
だそうだ。
「愛」を中心にすえて考えるから、別れてしまうそうだ。
「愛」よりも、「実践と継続」「信頼と継続」だそうだ。

付き合うってことも同じことが言えるのかな。

その関係性から生じる責任。
個人的責任なのか、それとも社会的責任なのか。
まぁ、両方ともだろうな。

結婚とか恋人って、一種の契約だろう。
それかラベリング。
社会的に性的関係を結ぶことができる証。
そこに愛を求めるのはいいことだ。
そこに生じる責任はどうなっているのか。

…まぁそこまで考えて恋愛なんてできないとは思うけど。
ここに結婚と付き合うってことの違いの一つがあるのかも。
結婚を前提にしない付き合いがあることの指摘。

ゲイにとっては、恋人とか付き合うということは
一般の人にとっての結婚と付き合うことの中間なイメージがある。
ま、個人的なイメージとして。
他の人はどう考えているのは知らんから。

とすると、ゲイにとっては「付き合う」ってことに関して
「責任」は
一般の人にとっての「結婚」に近い程度、生じるのかもしれないな。
「最大公約数で、私たちを見ないで欲しい」

今日、当事者の一人に言われた言葉。
つまり十人十色ってことだよな。
一人一人違う人間なんだから、接し方も必然的に変わってくるはずだ。
見方だってそうだ。

でも、最大公約数で見てしまうことがある。
障害のある人を「障害者」として見てしまう。
「当事者」と名前を変えて言っても同じこと。

では、何故そのような結果になるのか。

⇒「都合がいい」から。
とかでしょうな、本来は。
最大公約数を見出すことで、ある程度の「労力」を省くことができる。
第一印象や固定観念も同じ原理のように思われる。

本来は手段としての「名づけ」「ラベリング」なのにねぇ…。