周りの人のいいところばかりが気になって
羨ましくって
自分が情けなくって。
逆にいえば、他人のいいところに気がつけるのも才能なのかもしれない
よなぁ。もしも自分が一番だと思っていたら、その人のいいところに気
がつけないのかもしれない。
何で凹むかっていったら
その人の特性は自分が好ましく思う長所であり、なおかつ、現在の自分には無いと思われるものだから。
ないモノねだり。
凹むのは仕方がないことなのかもしれない。
羨ましいと思うのはしょうがないし。
だって本当に羨ましいんだから。
ただ、それが妬みに変わるのは避けたい。
羨ましいってのは、まだ未分化な状態なのかもしれない。
それが妬みよか恨みに変わったり
憧れとか尊敬に変わったり。
どちらかに分化する因子は何なんだろう。
一つはその因子と自分との関与の程度かもしれない。
他にはその人との対人関係とか、感情もあるだろう。
どの因子が強い決定力を持つのかは実験でもしないと分らないだろうな。
問題なのは凹んだ後に何をするか。
そのまま妬みに変わって、相手に恨みの感情を抱いたり
自分の無力感に嘆いて、自尊心を砕いたりして、ネガティブな状態に
なるのか。
それとも、尊敬に変わって、相手に近づけるように努力をしたり、
自己を向上させるのか。
まぁ、自分次第。
僕はあんまりネガティブな状態に陥りたくないし、
相手に対してネガティブな感情を抱きたくない。
だから、後者を選択する、ように心がける。
そりゃあ、人間だからネガティブな感情を抱くことも当然にあるだろう
から、全くそのネガティブな感情を排除するということはしないつもり。
ただ、それを制御しようとするだけ。病的な感情にまでならないように
するだけ。
そんなふうに病的な感情にまでなるエネルギーがあるのなら、それを別
な方向に向けるように努力する。切磋琢磨。
その人がいるから、自分の短所とかが見えるわけだから。
その意味では感謝する。
でも辛いよね。苦しいよね。痛いよね。
そう思っても当然なんだから、それを抱いていく。
ただそれに支配されたくないだけ。
それで落ちるよりも、上がりたい。
捉え方の違い。
それで全てが異なって見える。
結局は都合のよい見方でしかないのかもしれないけど、
それでいいのでは?
ただ、それがエゴにならないように注意する必要があるけど。
セルフ・モニタリング。
原点回帰。
考えた結果、元の状態に「見かけ上」戻る。
知らず知らずのうちに選んでいる選択肢。
その選択肢は自分にとって都合のよいモノ。
セルフ・サービング・バイアスもその一つ。
結果に関して自分に都合のよい原因を求めること。
ただこれを意識的に行う。
考えた結果、意識的に行う。
このバイアスを知った時には、自分がものすごく汚い存在に思えた。
人全てがそんな存在に思えた。自分だけはそんな選択をしたくないと
とも思った。そしたら、ものすごく苦しい。でもそれから逃げ出して
そのバイアスに戻ることもできなくっていた。
すでに知ってしまったのだから。
苦しんで色々考えた結果、セルフ・サービング・バイアスを行っても
いいのでは、という結論に。
ただ、意識的に弁別してそのバイアスを行う。
「見かけ上」はモトに戻ったようになる。
でも、確実に以前とは違うだろう。
これは原点回帰の一つの例かな。
そんな感じで色んなことに関して、原点回帰になりそうな気がする。
凹んだ時にも。
ネガティブな感情を無視したり、否定するのではなく
それを包み込んで、前に進む。
きっとネガティブもポジティブに変わるだろう。
そんな力の存在を肯定してもいいだろう。
羨ましくって
自分が情けなくって。
逆にいえば、他人のいいところに気がつけるのも才能なのかもしれない
よなぁ。もしも自分が一番だと思っていたら、その人のいいところに気
がつけないのかもしれない。
何で凹むかっていったら
その人の特性は自分が好ましく思う長所であり、なおかつ、現在の自分には無いと思われるものだから。
ないモノねだり。
凹むのは仕方がないことなのかもしれない。
羨ましいと思うのはしょうがないし。
だって本当に羨ましいんだから。
ただ、それが妬みに変わるのは避けたい。
羨ましいってのは、まだ未分化な状態なのかもしれない。
それが妬みよか恨みに変わったり
憧れとか尊敬に変わったり。
どちらかに分化する因子は何なんだろう。
一つはその因子と自分との関与の程度かもしれない。
他にはその人との対人関係とか、感情もあるだろう。
どの因子が強い決定力を持つのかは実験でもしないと分らないだろうな。
問題なのは凹んだ後に何をするか。
そのまま妬みに変わって、相手に恨みの感情を抱いたり
自分の無力感に嘆いて、自尊心を砕いたりして、ネガティブな状態に
なるのか。
それとも、尊敬に変わって、相手に近づけるように努力をしたり、
自己を向上させるのか。
まぁ、自分次第。
僕はあんまりネガティブな状態に陥りたくないし、
相手に対してネガティブな感情を抱きたくない。
だから、後者を選択する、ように心がける。
そりゃあ、人間だからネガティブな感情を抱くことも当然にあるだろう
から、全くそのネガティブな感情を排除するということはしないつもり。
ただ、それを制御しようとするだけ。病的な感情にまでならないように
するだけ。
そんなふうに病的な感情にまでなるエネルギーがあるのなら、それを別
な方向に向けるように努力する。切磋琢磨。
その人がいるから、自分の短所とかが見えるわけだから。
その意味では感謝する。
でも辛いよね。苦しいよね。痛いよね。
そう思っても当然なんだから、それを抱いていく。
ただそれに支配されたくないだけ。
それで落ちるよりも、上がりたい。
捉え方の違い。
それで全てが異なって見える。
結局は都合のよい見方でしかないのかもしれないけど、
それでいいのでは?
ただ、それがエゴにならないように注意する必要があるけど。
セルフ・モニタリング。
原点回帰。
考えた結果、元の状態に「見かけ上」戻る。
知らず知らずのうちに選んでいる選択肢。
その選択肢は自分にとって都合のよいモノ。
セルフ・サービング・バイアスもその一つ。
結果に関して自分に都合のよい原因を求めること。
ただこれを意識的に行う。
考えた結果、意識的に行う。
このバイアスを知った時には、自分がものすごく汚い存在に思えた。
人全てがそんな存在に思えた。自分だけはそんな選択をしたくないと
とも思った。そしたら、ものすごく苦しい。でもそれから逃げ出して
そのバイアスに戻ることもできなくっていた。
すでに知ってしまったのだから。
苦しんで色々考えた結果、セルフ・サービング・バイアスを行っても
いいのでは、という結論に。
ただ、意識的に弁別してそのバイアスを行う。
「見かけ上」はモトに戻ったようになる。
でも、確実に以前とは違うだろう。
これは原点回帰の一つの例かな。
そんな感じで色んなことに関して、原点回帰になりそうな気がする。
凹んだ時にも。
ネガティブな感情を無視したり、否定するのではなく
それを包み込んで、前に進む。
きっとネガティブもポジティブに変わるだろう。
そんな力の存在を肯定してもいいだろう。
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