カラ。

2004年5月10日 言い訳の思考
知らず知らずのうちに作ってしまっている。
会社でもバーでも、人間関係において。

カラが全く無い、という関係はあんまり無いとは思うけどね。

昨日も自分がカラを作っているということに気がついた。
まだ気がつくだけマシだとは思う。

カラ=距離

人と距離をとってしまう。
疲れていたり落ち込んでいる時には、よく作っている。
「あんまり今はカカワリタクナイ…」と思うと、自然とカラを作って
いたりする。それは表情とか物理的な距離とかになって表れる。
僕の場合、表情が硬くなるからなぁ。それに気がついて、抗っている。
でもなかなかカラは破れない。

カラがあまり無い時。
それは、好きな友達といる時や人以外のモノ達といる時。
カラを作る必要がない、というだけかもしれない。
そんな時はホッとする。

初対面の人にこの「カラの無い状態」を作りたいなぁ。
カラを作ってしまうと、話せなくなってしまうから。
話したいという欲求と離したいという欲求との葛藤。

人と真っ直ぐかかわりたいから、このカラに苛立ってしまう。
自分で作っているはずなのに…。

でもこのカラが必要なのも分る。
カラが全く無かったら、傷ついてしまうよな。
自分を守る為に、カラがある。
だから、余分なカラ、を取ろうと思っている。

時々、ほんの稀に、初対面なのに僕がカラを作らない人が現れる。
ただ、その時でさえ、あるカラが表れる。
「いい人だと思われたい」と思うカラ。
前者は「心理的な距離」のカラ。
後者は「自分を演じる」為のカラ。

色んなカラの活用法…。
こんなふうに考えると、必要なカラもあるんだって思う。

でも結局は「自分を守る」為のカラだと思う。
全てのカラを取ったら、人はどうなるんだろうなぁ。

ひとまず、余分なカラだけは取り除きたいなぁ。

ある人に「人懐こい」って言われたけど、
きっとその時には、カラが薄かったんだろうなぁ。

何で余分なカラを外そうと思うのか。
話したいから
早く仲良くなりたいから
フィルター越しに相手を見たくないから
フィルター越しに相手に見られたくないから

カラを持っていないモノ。
子供。特に赤ちゃん。
すげーよな、赤ちゃんって。
真っ直ぐ見ているもん。
全てさらけだしてるもん。
まぁ、カラを作る手段を知らないだけだと思うけどね。
そんな無防備さに憧れる。

そんな感情の底にあるモノは
「アイサレタイ」という欲求だろうな。
それで、「孤独感」を取り除きたいんだろう。

人と人の間に存在するから人間。

キミと出会ったから、孤独感を感じてしまうんだ。
キミがソコに、ココロにいつもいるから。
それが弱さでもあり、強さでもあり。

だから人が好きなんだよな。
強く儚いものたち。
自分も他人も好きになろう、もっと。

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