コトバって、そういうこと。
切り取ること自体が、言い訳じゃないかな。
それがそれでたりうる理由。
ナイモノはナイわけだから。
ただ、ナイというモノゴトはアルわけで、気がついていないだけ。

生きる意味。
一昨日より昨日
昨日より今日
今日より明日
明日より明後日。
それが希望。
つまり前進。
よりハッピーに。

これでイイという言い訳。
これがイイという思考。
後者は前者を納得しようとした結果なのかもしれないが。
どちらにせよ、イイというモノが欲しいのでは。

すべてはイイはず。
そう捉えるか捉えられないのかの違い。
それは円?それとも球?
そんな違い。
どれも間違いではない。
見方が異なるだけ。

問題、それは問題。
でも、それは可能性。
問題がなければ、停滞する。
停滞が悪いわけではない。
停滞も必要。必要があればだけど。
問題があるから、解決がある。
問題がなければ、ソノママだ。
問題のおかげで、前があることに気がつく。
問題が問題であると認知できた瞬間に、問題は半分解決している、
とどこかで聞いたことがある。その通りだと思う。
問題が問題であると気がつけることは、理想や期待、未来が見えている。
方向がある。方法がある。手段がある。
今はなくとも、未来につなげられる。
問題っていのは必要なこと。
無難にはそういう難が付随している。
ヒトラーの存在が否定した弁証法。
でも、ヒトラーが肯定することにもなるのではないだろうか。
劇的な結果はでないだろう。
歴史は繰り返す。
でも歴史があるのだから。
歴史として存在する大きな言い訳、教訓。
どう捉える?

その不幸は本当に不幸なんだろうか?
不幸だと感じれない方が不幸だと思う。
幸せしかない、ということは本当に幸せか?
幸せも不幸も飽和化する。交互にあるから、相互に存在するから、飽
和化せずに存在できる。
小さな幸せに気がつける。

問題がいろいろなモノを気づかせる。
そんな問題は本当に悪いものか?

さて、始めるとしよう、言い訳を。
きっと何度も同じような言い訳を繰り返しているのだろいう。
でも歴史として存在する言い訳に立ち返ることができる。
いつかその言い訳は言い訳ではなく、ジブンになるのではなか。
溶け合って。
限りなく
溶け合って。
この世界みたいに。
線のない世界に線をつくって、
時のない世界に時をつくって、
最大の発明であると同時に、孤独や不幸を切り出した。
「禍福はあざなえる縄の如し」
ダイナマイトの関係。
つまり、幸福と不幸の同時的発見。
利便と同時に殺傷を生み出した。

ボクは生きていることで何をしているのだろいう。
狭い視界で何を見ているのだろう。
もっと大きく、広く、深く。
でっかいヒトになりたい。
器をでっかく。
2年前にでっかくなろうと決意した。
それから少しはでかくなったのかな?
今日思い出した。「でっかくなろう」
今始める。
常に「0」。
常に「スタート」。
失うものはあるのか?
本当にそれは失ってはならないものなの?
それしかシアワセはないの?
気がついていないのかもよ。
そこにないかい、探しているものは?
失いたくないモノはある。
とても大切なモノたち。
一期一会的に。
それは本当に「失うモノ」なのかなぁ。
ただ、「見失うモノ」なんじゃないかな。
見えていないだけなんだよ。
見ていないだけなんだよ。
常にあるんだよ。
気がつこう。
失うモノはない。
見失わないようにするだけ。
常に「0」。
前進したとしても、常に「0」。
その位置が「0」。
「0」になる。

大丈夫だよ。
なくさないから。
いつまでもココロにはある。
だから見失わないで。
それに気がつこう?

なぁ、ジブン。

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