ニンゲンがニンゲンたる所以。

何となく「余分なことができる」ってことじゃないかなって思った。
ゆったりとしたジカンが流れた今日この時間。
髪を切って、買い物して、お茶のんで。
その帰り道に思った。

生物としてなら、食う、寝る、子孫を残すくらいで済む。
ではニンゲンは何をしている?
色んなモノを発達させたまら、色んな余裕ができた。
そんな余裕から「余分なこと」ができるようになった。
そこの部分が他の生物とは一番違うところなんじゃないかな。

「余分なこと」
これが必要であり、大事なモノ。
ニンゲンとしてイキル。
だから髪も切るし、服も切る。
子孫を残せないボクでも人を愛する。
ココにイキテイル。

余分なことをどれだけ出来るのか。
ニンゲンとしての充実。
つまり、生物にとって「余分なこと」は
ニンゲンにとって「余分なこと」ではない。

ただ生きるのなら
髪を切らなくてもいいし
お茶を飲まなくてもいいし
感情はあまり要らないし
ロボットであっても、いいのではないだろうか。
完全な余分なことを省いた存在=ロボット。

愛だってそうだ。
確かに生きることにおいては、ある程度の愛は必要だろう。
いや、愛とよばれるシステム的なモノは必要だろう。
愛他的行為。種を保存するためのシステム。
子孫を残すシステム。
でも、ゲイだって愛する。ヒトを好きになる。
それは余分なことなのかもしれないけど、ボクには必要だ。

たくさんの余分なことをしようと思う。

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