それが意味に一つの気がする、生きる上でも。
すくなくとも、それはボクにとっての。

さて何を残せるのだろうか。

その気持ちはドコからくるのだろうか。
おそらく、それは無。消滅。死。
だから存在があって生がある。
それを証明したい。
アジカンが歌う「存在証明」か。

今、本を読んでいる。
森絵都の「カラフル」。
まだ途中だけど、色んなことを考える。
いや、あんまり考えていないけど、考えていると感じたいだけかも。
それでも、考えたことはある。
それが
「残す」ということ。

「残す」って何を残す?

カタチで残す?
キモチで残す?
キオクで残す?

カタチは半永久的な物質。
キモチやキオクは一瞬の積み重ねの電気信号。
電気信号はカタチに変えられる可能性がある。
それはコトバ。

何を残す?
何が残る?

それを考える。
考えて考えて考える…。
イキル。

ボクのこのキモチはどこかの誰かの電気信号になるのだろうか?
そんな希望があってもいいと思う。
それを期待しても悪くはないと思う。

何を残そうか。
何を起こそうか。

まだジカンはありそうだ。

ハジマリがあるからオワリが。
オワリがあるからハジマリが。

どちらかを見つめると
他方も見える?
その他方もいくつもあるかもしれない。
その可能性は捨ててはいけないと思う。
いくつもの他方。
二極ではない。
二極しかないと思ったら、それでオワル。
限界があるのは知っている、つもり。
その限界ぎりぎりで頑張る。

ソレが見えるのはシアワセなのかフコウなのか。
どちらでもあり、どちらでもない。
それがコトバの限界?

でも
考えるだけでもダメかな。
動くよ。
少しずつでも。
前に進めるという「キボウ」くらいはもってもいいだろう。
じゃなきゃ、やってられないさ。
何をやってもいいんだから。
そう、やらないということをやってもいい。
意志、かな。
そこからその意志がくるのかは分からないけど、
意志はあるみたいだから。

それがボク。

残すぞ!

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