訂正。

2004年9月7日 言い訳の思考
Don’t cry coz you’re so right.
ではなくて
Cry coz you’re so right.
でいいんじゃないかなって思った。

我慢するんじゃなくて、委ねる。
委ねる先が
ジカンでも
ヒトでも
いい。
この想い。
この感情。
別に正しくも悪くもない。
いえるのは間違ってはいない、ということだけ。

ジブンにも
ヒトにも素直に。
真っ直ぐに。
ときには曲がりながらでも。

ダイジョウブ。
ボクはココにいる。
そして、キミもココにいる。
だからダイジョウブ。
ボクはボクであり
ボクがボクであり。
キミはキミであり
キミがキミ。

ダイジョウブ。
そう、やっと気がついた。
どうしてYU君が苦手なのかを…。

ジブンの情けなさとか影とかが浮き彫りになるからだ。
そのぐらい彼は一生懸命で真っ直ぐでイイ奴なんだ。

で、おいらといえば
ひねくれモノ
ダーク
天邪鬼
暗い
ドンくさい
などなど…。

そんなジブンを否定したくなるような部分に光を照らされるからなん
だよなぁ。やっぱひねくれてるじゃん…。
まぁ、そんなジブンでもいいのだけど。
お互いに無いモノを持っている(はず)だし。

今日思った。
うっわーすっげーキレイ…。
キレイすぎて汚い感じがしてしまうのは、おいらの性か。
そんなにキレイじゃないだろ、ヒトって、とか思ったりもするから。

まぁ、憧れもあるけれども、そうなりたくないという思いが。
ジブンのミチをジブンで歩けたら、それでいい。

やっぱひねくれてるのさ。
優しいコトバで、ココロ動かされる。
でも、それはコトバではなく、ココロで動かされている。
だからコトバじゃなくてもいいんだ。
ただ、その温かい手の温もりを感じるだけでも。

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仕事場から出ると不思議な景色が広がった。
満月から一日分だけ欠けた黄色い月。
夜8時半にしては、濃い赤紫色の空。
こんな空もたまにはいいな。

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ひどく寂しい晩だった。
カラダの疲れとココロの隙間の選択肢において
カラダの疲れを優先した。
休息。

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下をうつむいたまま歩き仕事に行ったり、家路を急ぐ人がいる。
サラリーマン、学生。
どうしてうつむいているんだろう?
そんなに疲れることがあったんかなぁ。
お疲れ様。

ボクはうつむいていないかい?
知らず知らずのうちに
背中を丸めて
うつむいていないかい?

もっと胸を張って
前向いて
顔を上げて
歩きたい
この道を。

転ぶのを恐れていては
歩き出せない。

届かないのを恐れていては
声を出せない。
怖がっていては
何もできない。
その恐怖ってどこから来るんだ?
過去の経験?
関係性?

キラワレタクナイ
アキレラレタクナイ
ヒテイサレタクナイ
キズツキタクナイ

認めて欲しいから
か?
ジブンの分からない所で
ジブンの知らない所で
ジブンの関係のあることが
ジブンと関係することが
確実に動き始めている。

そのことにジブンは気がついていない。
しかしそれは、着実にジブンに影響を及ぼそうとしている。
それは明日になるかもしれないし、明後日になるかもしれない。
はたまた一年後、死ぬ寸前なのかもしれない。

たとえば台風。
確実に今、日本に近づいている。
ジブンにどんな影響を及ぼすのだろうか。

たとえば電話。
今切れた電話が明日どのような影響を及ぼすのだろうか。

知らない所で、確実に近づいている。
そんなモノがある。
耳を澄ませると聞こえるのだろうか?
目を凝らすと見えるのだろうか?

それは、確実にジブンに影響を及ぼすモノたち。

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そんなたくさんの変数の中で
ボクラが操作可能なモノは一体どれくらいなんだろう。
下手をすれば、
いや
おそらく、自分自身でさえもそんな変数に含まれるのだろう。
ジブンはジブンのことをどれだけ知っているのか?
ジブンはジブンのことをどれだけ制御できるのか?

そんな未知数なジブン。
そんなジブンに一体どんな「自信」を持つんだろう。

まぁ、確実に言える自信といえば
自信がない、と言い切る自信くらいか。

そんな世界に何を求め、何に生きるのか。
そんなたいそうなことを考えても仕方がないのだけど
ひとまずは
笑っていられますように。

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周りの人
最近では特に、職場の人。
ジブンは、どうしてこんなに優しくしてもらえないんだろう。
はたまたその優しさに気がついていないだけなのかもしれないけどね。

ジブンはそんな人間になるのはイヤだ。
強く優しくなりたい。
そうありたい。
どんな時でも優しく。
強い優しさが欲しい。
そんな人間になろう。

ジブンが嫌いなヒトにはなりたくない。
ジブンがいつのまにか、そんなヒトの中で平気にいられるようになりた
くはない。

ジブンを変えよう。
そして
周りを変えよう。

周りを変えよう。
そして
ジブンを変えよう。

その相互関係の中で
存在するジブンの定義。

負けてたまるか。
一度しかない。
すべてが一度。
刹那。
瞬間。

そんな「時」を精一杯生きたい。
謳歌したい。

笑おう。
そして泣いて
笑おう。

泣けるから笑えて
笑えるから泣ける。
最後には笑おう。
コトバって、そういうこと。
切り取ること自体が、言い訳じゃないかな。
それがそれでたりうる理由。
ナイモノはナイわけだから。
ただ、ナイというモノゴトはアルわけで、気がついていないだけ。

生きる意味。
一昨日より昨日
昨日より今日
今日より明日
明日より明後日。
それが希望。
つまり前進。
よりハッピーに。

これでイイという言い訳。
これがイイという思考。
後者は前者を納得しようとした結果なのかもしれないが。
どちらにせよ、イイというモノが欲しいのでは。

すべてはイイはず。
そう捉えるか捉えられないのかの違い。
それは円?それとも球?
そんな違い。
どれも間違いではない。
見方が異なるだけ。

問題、それは問題。
でも、それは可能性。
問題がなければ、停滞する。
停滞が悪いわけではない。
停滞も必要。必要があればだけど。
問題があるから、解決がある。
問題がなければ、ソノママだ。
問題のおかげで、前があることに気がつく。
問題が問題であると認知できた瞬間に、問題は半分解決している、
とどこかで聞いたことがある。その通りだと思う。
問題が問題であると気がつけることは、理想や期待、未来が見えている。
方向がある。方法がある。手段がある。
今はなくとも、未来につなげられる。
問題っていのは必要なこと。
無難にはそういう難が付随している。
ヒトラーの存在が否定した弁証法。
でも、ヒトラーが肯定することにもなるのではないだろうか。
劇的な結果はでないだろう。
歴史は繰り返す。
でも歴史があるのだから。
歴史として存在する大きな言い訳、教訓。
どう捉える?

その不幸は本当に不幸なんだろうか?
不幸だと感じれない方が不幸だと思う。
幸せしかない、ということは本当に幸せか?
幸せも不幸も飽和化する。交互にあるから、相互に存在するから、飽
和化せずに存在できる。
小さな幸せに気がつける。

問題がいろいろなモノを気づかせる。
そんな問題は本当に悪いものか?

さて、始めるとしよう、言い訳を。
きっと何度も同じような言い訳を繰り返しているのだろいう。
でも歴史として存在する言い訳に立ち返ることができる。
いつかその言い訳は言い訳ではなく、ジブンになるのではなか。
溶け合って。
限りなく
溶け合って。
この世界みたいに。
線のない世界に線をつくって、
時のない世界に時をつくって、
最大の発明であると同時に、孤独や不幸を切り出した。
「禍福はあざなえる縄の如し」
ダイナマイトの関係。
つまり、幸福と不幸の同時的発見。
利便と同時に殺傷を生み出した。

ボクは生きていることで何をしているのだろいう。
狭い視界で何を見ているのだろう。
もっと大きく、広く、深く。
でっかいヒトになりたい。
器をでっかく。
2年前にでっかくなろうと決意した。
それから少しはでかくなったのかな?
今日思い出した。「でっかくなろう」
今始める。
常に「0」。
常に「スタート」。
失うものはあるのか?
本当にそれは失ってはならないものなの?
それしかシアワセはないの?
気がついていないのかもよ。
そこにないかい、探しているものは?
失いたくないモノはある。
とても大切なモノたち。
一期一会的に。
それは本当に「失うモノ」なのかなぁ。
ただ、「見失うモノ」なんじゃないかな。
見えていないだけなんだよ。
見ていないだけなんだよ。
常にあるんだよ。
気がつこう。
失うモノはない。
見失わないようにするだけ。
常に「0」。
前進したとしても、常に「0」。
その位置が「0」。
「0」になる。

大丈夫だよ。
なくさないから。
いつまでもココロにはある。
だから見失わないで。
それに気がつこう?

なぁ、ジブン。
というか、眠い…。
やる気ナシ。
ウツだし。
4連休の後だしなぁ。

なぜか会社には一番乗りだったけどね…。
この4日間のことをSKさんに教えたかったけど、そんな余裕は無かった
ねぇ。なかなかすれ違いな一日だったし。
まったりめな一日。

っつーか、今日仕事あんのに、バーから帰ったのが朝1時って何だ?
馬鹿でー、自分(TnT)

あまりにも楽しかったからさ
今となっては夢のようだったのさ。
夢となって散っていった感覚。
大阪の夜も。
JNさんへの恋も。

15分ほどジョギングしならが考える。
楽しまなきゃ損だって。
どうなるか分からない人生。
一度しかない人生。
すべてが一瞬の人生。
刹那な人生。

イヤな状況ならどうする?
逃げる?
それとも変える?

どう変える?
自分を変える?
周りを変える?

周りを変えちゃえ。
そしたら、どうする?
何がイヤなのか、
何がワルイのか、
その基準を明確に。
絶えず問う。

そのまま受け取るのではなく、
クリティカルに。
つっぱのけるのではなく
クリティカルに。

自分も変えなきゃね。
でも
周りを変えよう。

イヤな状況
イヤな人
イヤな自分

何もせずに
ただ黙って待っているのはイヤだ。
グチしか言えないのはイヤだ。

やってやるさ
そんな人生。
生涯青春
そんな人生。

どこへ行こう?
つまりは結果論。
どこかにたどり着ける。
たどり着いたところが
約束の地か?

見えているモノを
見えないと思う。
そんなの損じゃん。
自分の中に世界はあるのだから。
卵が先か、鶏が先か?
そんなのどうでもいいじゃん。
自分の中に答えはあるのだから。

限りない答えが。
漸近線的な答えが。
答えは終わりじゃない。
終わりの答えが欲しいわけじゃない。
終わりは始まりなんだよ。
ひとまず「死」以外は。
言われた仕事ができるのが当たり前…。
それよりも先をしなければ認められない。

言われた時は、時すでに遅し、かぁ。

ちょっとだけ頑張ったかもしれんなぁ、今日は。
まだまだなんだけどねぇ。

認められようとして、同僚達は一生懸命さ。
ところで、おいらはどうよ?
めんどくさいのはご免な人間だからなぁ。
すでに、どれがメンドクサイのかさえ、分からなくなってきて
メンドクサイからしない、というのが当たり前になっているような…。
自分のメンドクサイという気持ちを自覚しないとな。
「逃げるな」ということ。

少しでいいから、「先」へ。
結果は、行動に随伴する。
そして結果は、その行動の頻度を左右する。
その部分の循環論を脱却するという意味が少し分かったような気がする。

さて、明日のキャンプは頑張るかなぁー。

┗|∵|┓┏|∵|┛┗|∵|┓┏|∵|┛┗|∵|┓┏|∵|┛┗|∵|┓

まぁ、彼からメールの返信が来ないのは当たり前のことなのか(TnT)

あのメールで、送るのは最後にしようかな、とか思った。
でも、結局、もう一回送った、2日後に。

メールに気がついていないんだろうか?
それとも、わざと無視?
はたまた、予定を訊いた内容だったから、予定が決まってから連絡?

メールを送るのが怖くなってきた。
帰ってこないのがとても不安で。
だから、送らない方がいいような気がする。

届かない。
でも
届かないといって、諦めるのもイヤだ。
届くまで、送るか?
そんなことをしてシツコイと嫌われたら?という不安もある。
送っても不安
送らなくても不安
結局不安ぢゃん…。
何でもかんでも、やり始めるのが遅い。
自分の「めんどくさがり病」のせいか…。
すべてが億劫になってしまう。

「言われた時には、すでに遅いんだよ。相手はしびれを切らしているか
ら言っているんだ。」
と社会人の先輩である友達から言われた。
あぁ、そうなんよね。
何で言われるまでできんのんかなぁ…?

今まで言われたことをやるだけだった。
それに慣れてしまっている。
自分から始めることができない。
ヒントがもらえないとできない。

それじゃ、あかんのだけどね。

自分が何を考えているのかがわからない。
本当に自分の意見をもっているのだろうか?

仕事の先輩や上司に言われても、何も答えることができない。
思考が止まっているような気でさえする。
「あ、止まっている」ってことは理解できる。

やっぱ、「勉強しとかないと議論はできない」んだろう。
土台があって、考えがあってからこそ、意見が生まれる。
土台がある部分なら意見が言えるもんなぁ。

そろそろエンジンをかけてもいいのではないのだろうか…?
まだ本気ではない、本気になれば自分はすごいんだぞ、っていう幻想
は捨ててしまいたい。
自分の行動の結果が、今までの結果が、今の僕の評価なんだ。
そんなの自分ではない、と思っても始まらない。
それだけのことしか、自分はできていない、ただそれだけ。

今が終わりなのではなくて、
今が始まり。

「もうだめだ打ちのめされた そこが僕の始まりだった
          ランクヘッド−『前進/僕/戦場』」
最近ELLEGARDENというバンドの「Pepperoni Quattro」という
アルバムを買った。

何でだろう。
涙が出る。

パンク・ロック。
ジャケットはお馬鹿な感じがするし、あんまり好きではないんだけど、
旋律が好き。音の絡み様も。

特に「バタフライ」や「My Bloody Holiday」が好きだな。

「You said there’s no chance
Better run before it’s to late
You think I’m persistent
Yes I am a bad loser
You say we have no choice
Deceive ourselves sometimes
But if you do mean that
Please look in my eyes when you talk

忘れないように
 なくさないように
 結び目がほどけないように
 この指がまだ憶えている

        ELLEGARDEN-『バタフライ』」

「本当にそう思うなら、僕の目を見て言ってくれ(意訳)」ってところ
とか好きだな。どこかごまかしながら生きていると知りながら、それ
をどうしようもないと、自分に言い聞かす。
でも、それに納得しきれていない自分がいて、苦しい。

何だろ。
「イキル」って。

応援歌であるとともに鎮魂歌。
そんな名前に負けそうな感じはするけど、
好きだ。

前向きな悲しみ?
どうせなら、笑いながら泣こうじゃないか!みたいな感じかな。
2週間前くらいに、パソコンが大変なことになってしまい、リカバリー
を余儀なくされた(TnT)。まぁ、すべては自分の責任なのだが…。
もちろん、バックアップなんぞはしておらず(TnT)、すべての設定が
なくなったわけで、インターネットもできんかった…。

すべての、過去の思い出も消えた。
ノンケの初恋の人の写メとか、卒業論文とか作った曲やらイラストとか(TnT)

でも、なぜか後悔はない。
逆にすっきりとした。
そりゃ、悲しいけどさ、でもすっきりした。

大事な思い出としてとっていた様々なファイル。
不思議と未練はない。
どうせ、ほとんど振り返りはしなかったのだから。
ちょっと、「アナ」は空いた気がしたけど
そのアナも今は埋まってしまった。
そんなものだったのかな?

そんなもの達を一体どれくらい、引きずっているんだろうなぁ。
全部、背負っていけるのなら、それでいい。
疲れてしまっているのなら、おろしてしまおう。
本当に背負わなければいけない「ナニカ」のために。
自分に力があれば、その分きっと、たくさん背負えるはず。
今の自分の力はどれくらいなんだ?

┗|∵|┓┏|∵|┛┗|∵|┓┏|∵|┛┗|∵|┓┏|∵|┛┗|∵|┓┏|∵|┛

また、同じ失敗をしたかもしれない…。
あぁ、またかー(TnT)
予定の確認…。
明日、きっといやみを言われるのだろうなぁ。

ま、いっか。

といって、自分を納得させてしまおう。

言い訳の役割さ。

空。

2004年6月13日 言い訳の思考
バーからの帰り道、うっすらと明ける空を見る。
下弦の三日月を眺めながら、東の空が薄っすらと明るくなっていくのを眺める。
ブルーフローライトと同じ蒼さの空が、水の入った田んぼに映る。
蛙の声が水面にコダマする。
静かにしんしんと降り積もる。
風の音も聞こえない。

夕方ジョギングする。
バーからの帰り道と同じ道を走る。
夏の夕方の匂いがする。
真っ青な空が、再び水面に映っている。
風が気持ちいい。
雨上がりだからか遠くまでよく見える。
ドコまでも澄んだ色が目に飛び込む。


こんな風景に溶け込みたい衝動。
ココロもカラダも溶かして。
まっさらな気持ちでスタートしたい。

┗|∵|┓┏|∵|┛┗|∵|┓┏|∵|┛┗|∵|┓┏|∵|┛

今日は二人の誘いを断って、一人家でのんびりした。
久しぶりにここまでのんびりできた気がする。

色んなことを考えれた気もする。

人に言った言葉を自分に反芻する。
人を通して自分に語る言葉。

漠然としていたものを
具体化してみる。

┗|∵|┓┏|∵|┛┗|∵|┓┏|∵|┛┗|∵|┓┏|∵|┛

寂しさ。
みんな抱えているんだね。

あるメンバーさんは過去に投身自殺を図ったらしい。
そんな言葉に愕然とした。
今の姿からは全く見えなかった。
そんなことを予想さえせずに、付き合っていた自分にも愕然とした。
逆にそうした目で見ない方が良いのかもしれないけど。
あまりにも近いから、障害をもっている人であるという認識でさえ
薄れてしまう。
その方が真のノーマライゼーションに違いないけど、僕はスタッフで
あるわけで。
そこんところの認識が欠如しているのは、スタッフとして失格かもし
れない。
スタッフが一番ノーマライゼーションとは程遠い人間でなくてはなら
ないってのは、一番の皮肉だよなぁ。
この職業をしていく上で、抱え続けなければならない命題。

関わる中で、一番感じるのは
寂しさ。
みんなそれを紛らわせたいんだ。
彼らだけでなく、僕らもそうだ。
そこに区別は必要ない。
そのメンバーさんも寂しいって言ってた。
他のメンバーさんも寂しいって言ってる。
ボクもだよ。

だから人を求めるんだ。

一人でいたい人は、逆にものすごい寂しがりな気がする。
一人でいる限り
これ以上独りにならずに済むからね。
裏切られることも、期待することもないからね。
別れを体験しない代わりに
出会いも体験しない。
代償。
望まなければ、裏切られることはない。

どっちが幸せかは、本人次第。

ボクは出会う方を求める。
別れが多い分、出会いも多い。
悲しいことがあるだけ、きっと嬉しいことも多いだろう。
全ては自分の為
ってこと。

どんなに抗おうとも。

だからといって、別に悲観するつもりもない。
それでいいと思う。

その「次」に何をするか
だよな、きっと。

┗|∵|┓┏|∵|┛┗|∵|┓┏|∵|┛┗|∵|┓┏|∵|┛

どうして人を好きになるんだろう。

根底には、寂しさが潜んでいる気がする。
その寂しさ、孤独感を紛らわす為に、好きになる。
アイサレタイから。

何で愛されたいんだろう。
それは寂しさを感じないから、孤独感を感じないから。

=循環論。

なぜ好きになる?⇒愛されたいから
なぜ愛されたいのだろう?⇒寂しさを感じなくなるから
なぜ寂しさを感じたくないのだろうか?⇒近くに居て欲しいから
なぜ近くに居て欲しいのだろう?⇒好きだから




孤独。
それぞれ人が抱えている鎖。
つながれている。
死とかさ。

でも、それは相対的な孤独なのかも。
相対的であれば、逆が存在するから。

なぜ孤独がいやなのだろう。
すなわち、なぜ人と一緒に居たいのだろう。
それは強化歴。
正の強化子の対提示。
覚えてはいない昔の記憶。
生得的正の強化子(食べ物とか)と対提示されているのが母親。
すると母親も正の強化子へとなる。派生の原理。
母親の存在は他の人物へも広がる。般化の原理。

小さい頃は、満腹と安心とは対提示されていたのかもね。
満腹=安心となる。
他にも守られているという意味でも安心。

安心には他者が必要だから。
独りがなくなるには他者が必要だから。
他者なら誰でもいいというわけではなく、
やっぱ、好きな人がいいよなぁ。
リセイとホンノウが混在している。
ホンノウから派生したリセイ。
リセイの根底にはホンノウが。
突き詰めていけば、人間は生物。
でも、人間はホンノウを否定しながら生きている気がする。
それが言い訳か。合理性?

情けは人の為ならず。

原点回帰さ。

結局は元に戻ってくる。

それでいい。
それがいい。
道徳による行動の制御と法による行動の制御。

道徳は社会規範を個人が内面に取り入れている。
社会化なのかなぁ。その社会に適合・適応する形で行動が形成される。

法は、何なんだろう。専門じゃないから…。ひとまず道徳と違って、
外的な強制力がある。それが罰?
でも英語だったら、sinとcrimeがある。
sinは道徳的な罰。
crimeは法律的な罰。
じゃあ、「罰」は両面性を持っているのかな。

罪かぁ。社会化と関係している気がする。
その人のいる社会の規範。特に道徳の方に関係しているような。
罪の「意識」。意識次第で罪はなくなる。
ただ、周りの人はそうはいかない。
自分は罪だと思っていなくても、周りはが思っている場合がある。
多分、その周りの人の考える罪の最大公約数的なものが法なのかなぁ。

生きながらにして背負っている罪。原罪っていうのかな?
人以外の動物にも罪はあるのかな?

まぁ、罪の話をするとしたら、罪を便宜上二つに分けた方が良さそう
な気がする。
道徳的な意味での罪と法律的な意味での罪。
明確には分けられないけれども。

法律的な意味での罪だと、法律を破ったことそれ自体が罪。
道徳的な意味での罪が厄介なのかも。
そもそも、僕は道徳というモノ事体に違和感を覚える人間だしなぁ。
ある本の影響だろうけど…。道徳事体が、恣意。
確かに、自分が罪を「ツクッテイル」んだろうな。
「犯している」のではなく「ツクッテイル」。
とすると、罪をツクッテイル行動自体に何かしらの結果が随伴してい
ことになる。それは何なんだろう。
感情かなぁ。あと、自分の中にツクッタ人々。自分の中にいる他者。
自分の中にいるその他者の抱く自分のイメージ。
要するに「○○と思われたらいやだなぁ」ってこと。
それが行動の規範になる。それが道徳だったりもする。
自分で作っているのだから、人の数だけ罪や道徳はあるんだろうなぁ。
生まれながらに背負う罪。それは始めは周囲の大人がツクル。
成長するうちに、今度は自分でツクリ始める。それが社会化。
他者がいるから罪がある。自分独りしかいない世界では罪は存在しな
いのではないのだろうか。

他者がいるから罪がある。けど、他者なしでは生きることはできない。
他者がいなかったら「人間」にはなれない。
だから、「人間」であるということ事体が「罪」になるのかもなぁ。
全体の「種族」としての生きやすさの追及した結果が道徳であり、罪。
個人ではなく、集団に帰属させるモノ。
「人間」が「人間」であるためには必然的に罪はツクラレル。
それでないと、「人間」たりえない。社会性を持つという意味におい
ての「人間」。
欲求は罪なのかなぁ。罪だとしたら、生きとし生けるもの、全てが罪
を背負っている。それを罪だとしたら、特に気にする必要はないのか
もしれない。「罪」が「普通」になったら、もはやそれは「罪」では
ないのだろう。
「罪」が「罪」たりえるためには、独自性が必要。
その一つが「ツクル」ってことじゃないのかなぁ。
ツクラナケレバ罪はない。

けれども、僕らは「ツクラサレテイル」。
ツクラナイト生きていけない、「人間」として。
それが「人間」としての宿命かなぁ。
キリスト教での原罪(よく知らないけど…)。

でも、抗うことができる、罪に対して。
罪は「ツクラレテ」いるのだから。
自分でツクッテイルのだったら、何とかできる、何かしらできる。
でも、それは幸か不幸か…?
抗う一つの手段が「償い」。
それさえ「ツクッテイル」のだろうなぁ。

カラ。

2004年5月10日 言い訳の思考
知らず知らずのうちに作ってしまっている。
会社でもバーでも、人間関係において。

カラが全く無い、という関係はあんまり無いとは思うけどね。

昨日も自分がカラを作っているということに気がついた。
まだ気がつくだけマシだとは思う。

カラ=距離

人と距離をとってしまう。
疲れていたり落ち込んでいる時には、よく作っている。
「あんまり今はカカワリタクナイ…」と思うと、自然とカラを作って
いたりする。それは表情とか物理的な距離とかになって表れる。
僕の場合、表情が硬くなるからなぁ。それに気がついて、抗っている。
でもなかなかカラは破れない。

カラがあまり無い時。
それは、好きな友達といる時や人以外のモノ達といる時。
カラを作る必要がない、というだけかもしれない。
そんな時はホッとする。

初対面の人にこの「カラの無い状態」を作りたいなぁ。
カラを作ってしまうと、話せなくなってしまうから。
話したいという欲求と離したいという欲求との葛藤。

人と真っ直ぐかかわりたいから、このカラに苛立ってしまう。
自分で作っているはずなのに…。

でもこのカラが必要なのも分る。
カラが全く無かったら、傷ついてしまうよな。
自分を守る為に、カラがある。
だから、余分なカラ、を取ろうと思っている。

時々、ほんの稀に、初対面なのに僕がカラを作らない人が現れる。
ただ、その時でさえ、あるカラが表れる。
「いい人だと思われたい」と思うカラ。
前者は「心理的な距離」のカラ。
後者は「自分を演じる」為のカラ。

色んなカラの活用法…。
こんなふうに考えると、必要なカラもあるんだって思う。

でも結局は「自分を守る」為のカラだと思う。
全てのカラを取ったら、人はどうなるんだろうなぁ。

ひとまず、余分なカラだけは取り除きたいなぁ。

ある人に「人懐こい」って言われたけど、
きっとその時には、カラが薄かったんだろうなぁ。

何で余分なカラを外そうと思うのか。
話したいから
早く仲良くなりたいから
フィルター越しに相手を見たくないから
フィルター越しに相手に見られたくないから

カラを持っていないモノ。
子供。特に赤ちゃん。
すげーよな、赤ちゃんって。
真っ直ぐ見ているもん。
全てさらけだしてるもん。
まぁ、カラを作る手段を知らないだけだと思うけどね。
そんな無防備さに憧れる。

そんな感情の底にあるモノは
「アイサレタイ」という欲求だろうな。
それで、「孤独感」を取り除きたいんだろう。

人と人の間に存在するから人間。

キミと出会ったから、孤独感を感じてしまうんだ。
キミがソコに、ココロにいつもいるから。
それが弱さでもあり、強さでもあり。

だから人が好きなんだよな。
強く儚いものたち。
自分も他人も好きになろう、もっと。
今、日記のリンクを見るとIさんのリンクが消えていた。
昨日日記を見た時に、新たな気持ちで出発するために日記を消す、
というのを見た。

少し複雑な気持ち。

新たな門出を祝福する気持ちとともに
寂寥感がある。寂しさ。

彼の文章とか考え方が好きだった。
一生懸命さとか真っ直ぐさとか、読んでて共感できたし、尊敬した。
「人間味」が溢れている文章だったと思う。

一語で表すと「struggle」
意味は「もがく」とか「努力する」、「苦労して得る」、「戦う」とか。

そのひたむきさが好きだった。

人生の先輩として見ていたのかもしれない。

まぁ、若輩者の独り言っす…。

彼にもこの歌詞を
「Don’t try to live so wise
Don’t cry coz you’re so right
Dnt’t dry with fakes or fears
Coz you will hate yourself in the end」

「coz you’re so right」のところを
「私はこの歌詞はあまり好きじゃない。正しくなくでもいいもん」
と言った後輩がいた。でも僕は「正しさ」とは解釈しなかった。
僕も「正しさ」なんて嫌いだ。そんなの人の数だけあって、多数派の
理屈であり、結果論、言い訳。自分にとって都合の良さ。
僕は「きっと大丈夫だから、泣かないで」と考える。
「間違っちゃいないよ」って。
「正しい」と「間違っていない」は全く違う。

「正しさ」なんてモノはないと思う。人の数だけあるんだから、一つ
だけの「正しさ」なんてない。
ただ「間違ってはいない」ってことしか言えないと思う。

「答」も要らない。得てしまうと、得たと考えてしまうと、そこで止
まってしまう。これはスキナーって人の影響かな。
だから、答を求め続ける。きっと今の暫定的な答も、未来には答では
なくなっている。それでいいと思う。その答に固執しなくてはならな
い理由はない。「ひとまずの答」でその場しのぎ。ちょっと休んだら
また出発。ずっと進むのは大変だからね。



Iさんとまた会えることを願って。
まぁ、お医者さんに行ってきました。あんまり診てもらえんかったよ
うな気が…。2種類の胃薬をもらっただけさ〜…(TnT)
まぁ、大丈夫でしょう。きっとストレス。

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最近、あまりに時の流れるスピードについていけなくて、ビックリし
てしまう。きっとあっという間なんだろうな、最期って。
別にそれが悲しいわけじゃない、嘆いているわけじゃない。

ただビックリしてるだけ、このスピードに。

充実してるからかもね。
それか現実見当識が薄れているだけ(TnT)

だからこそ大切にしたい。

ボクもキミもね。

誰かから聞いたけど、
「死ぬことを考えることは、生きることを考えること
 良い死に方しようとすることは、良い生き方をしようとすること」
多分、こんな感じのニュアンスだったと(細かくは覚えてないし)

別に胃炎だから、これを意識したわけじゃない。しばらく前からだな。

「人は死ぬために産まれきた」
強引に翻って
「人は生きるために死ぬ」
ってことか?

『世界の中心で、愛を叫ぶ』を読んだ。
結局、よく分らなかったけど、少し悲しかった。
一ヶ月前の「死」とダブったから。

彼の世界の中心って何処だったんだ。
何となく、彼の居る所は全て中心な気がする。
天動説みたいなもんか。でも、それでいいぢゃん。
彼はいつも叫んでいた。声にはならなかったけど。

この話を読んでいるとUNさんを思い出した。
会わなくなって1ヶ月と少しだけど、すごく長い時間な気がする。
何でかな。ネガティブの塊みたいな人だけど好きだ。
彼女がすぐどこかに消えてしまいそうな不安があるからかな。
だからアキとダブったのか…?
彼女と話している時の時間の流れもあっという間だったな。
彼女にカミングアウトして良かった。

色んなモノとダブりまくりだな、この本は。
表紙の写真が好きだな。
映画見てぇ。

そして、今日みた祖父の瞳を思い出した。今年94歳。
別れる時、ものすごい寂しそうな目だった。
田舎に帰ったのも、一泊二日だしな。
また死を経験するのかな。
別れる時に、危うく泣きそうになった。
先を考えたからか…?

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この前、つーか5日前くらいに、告白されちまった。
まだ、会ってから3週間程なんですけど…?
どこが気に入ったんだかねぇ…。丁重にお断りしました。
まだ、誰とも付き合う気が無いから。
彼のことは好きなんだけど、年も違いすぎるし(10数歳違うのかな)。
まぁ、年は関係ないか。すごく良い人だけどね。ただ、付き合うと
なると、違うんだろうな。

僕は付き合えるんだろうか、誰かと。
純粋に「愛」が分るんかなぁ。
涙が出てしまう。

最近、出会いが多すぎるからなぁ。店子もして、サークルもして。
モテそうって言われてもねぇ…。よく分らない。

フトコロをでっかくしたい。

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色んな過去があるんだね。
まぁ、高校生なのに、こんなにも一杯経験して。
思わず抱きしめたくなったけど、そんなことはしなかった。
彼はそんなことを求めてはいない。
それは僕のエゴだから。
同情なんかはしたくない。されたくないから。

人の好き嫌いの基準なんて分らないけど
自分を基準にして考えるしかないというのも事実だろう。
他人を基準にする方法もあるけど、彼は自分ではない。
だから、分りきれない。自分でさえ分りきれないのにね。

過去があるから今がある。
断絶ではなく継続。
身体も精神も。

どこかに刻み込まれてるんかなぁ。

全ての思い出。
いつも怯えていたりする。
目に見えないモノに対して。
人の期待とか気持ちとか。
未来とか過去とか。

でも、怯えてもしかたがないと思っている。
それなのに、怯えるのは何故か。

ただ、他の方法をとっていないだけでは?
ちょっと探せば、他の方法が見えてくるのかも。

その選択で、僕が消滅するわけではない。

なのに、どうしてこんなに怯えているんだろうなぁ。

「不安」。それは対象の明確ではない「恐怖」。漠然としたモノ。
不安に怯えているのか、恐怖に怯えているのか。

たまには、怯えてもいいけどさ
いいかげんに怯えるのも、めんどくさいから、やめにしたい。

最近は、やっと前向きになれる感覚を得られるようになった。
落ち込む頻度と時間が少なくなってきた。
もっと、もっと、ポジティブな方向へ。恣意なんだから。

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ちなみに、おいらは今病気っぽいです…。
ひとまず、明日は病院に行ってきます。
ひょっとしたら、ウィルス性の胃炎かもしれない…。
ここ1週間ばかり、胃もたれと胃痛が…。
だから、今日店子に入れんかった(TnT)
明日はとっとと病院に行って、店子に入ろうっと。

さち。さん。ぜひ来てください〜。ちなみにゲイバーですよ(笑)
6月には女性の入ってもいい日があるはず。
まだ、慣れてなくて、へまばかりだし、話も上手くできないけど、
色んな人に会えるのが、一番楽しい!一気に色んな人間関係ができま
した。バドミントンもそれがきっかけで始まりました。
明日は行くぞー。今晩は、友達が来るっていうから、入りたかったん
ですけどね(TnT)

「君」

2004年4月26日 言い訳の思考
僕にとっての「君」は誰だろう。
たくさんの人が通り過ぎて行ったから。

やっぱ初恋の人かな。二人いるけど(爆)。
たくさんの「君」。

全部、君だった…かぁ。

次の「君」はおるんかなぁ。
今は、いない。

それはそれで寂しいけど
それはそれで自由だし。

拘束がないから、どこに行ったらいいのか分らなくなる。
それが自由?

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つなげて、切って。
切って、つなげて。

切ったままの人もいれば、つながったままの人もいる。
つないだ状態でなければ切れないから、みんな一度はつながった人。

つないだままでいたいけど
それはいつか束縛になるんかな。
それとも絆になるんかな。

僕が切った。
君が切った?

どちらもイタイんよな。

切り方も色々あるし。

全てを切った人もいれば
一部を残した人もいる。

一部だけのつもりが
全部になった人もいる。
彼にとっては、それが全部だったんかもな。

それだけが、僕だったんだと思うと、それもツライ。
そこしか見られていなかったんだな、ってさ。
僕の中の僕と、君の中の僕は違うってこと。

どれだけの人をつなげたままでいられるのか
ちょっくら頑張ってみなけりゃ分らんな。

でっかく、ふかく、ひろく。
そんな青空。
落ちてきそうな空を。
落ちていきそうな空を。
山崎さんの曲。
優しくて、切なくて、寂しくて。
そんな感じ。

「いつの間にか降り出した雨の音を
急ぎ足で行く季節の終わりを告げている
ふいに窓を閉じかけた手が止まる
しばらくは君のことを思い出さずにいたのに

ささいなことからのいさかいは
いつも二人の明日を曇らせた

今ならあの夜を越えられるかな
君の涙に答えられるかな
胸も苦しくて張り裂けるほど
全部、君だった

互いの拭い切れないさみしさを
冷めた朝の光の中でうやむやにしてきた
ココロにもない裏腹な言葉で
わざと二人は傷つけたったね
今なら上手に伝えられるかな
いつも微笑みに答えたかった
胸も切なくてかきむしるほど
ずべて君だった

時は静かにかけがいのないものを
遠ざかっていくほど鮮やかに映し出す
どんなにやるせない気持ちでも
どんなに明日が見えなくても
温もりだけを頼りにしていた

やがて雨音は途切れ始めて
街がにわかに動き始める
雲がゆっくりすべり始めて
部屋は明るさを取り戻してく

風が優しく頬をなでていく
全部、君だった

全部、君だった

雨も雲も街も風も窓も光も
全部、君だった

冷めた朝も夜も微笑みも涙も
全部、君だった」
僕は人の頭をよしよしとなでます。
なでるのが好きなのかもしれません。

でもなでっぱなしにはしません。
そんなに「お人よし」ではありません。

それは誰の為?
自分とその人の為。

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捨て猫がいたらどうしますか?

可哀想にと抱きしめますか?
それとも無視して通り過ぎますか?

この二つの答はともに「優しさ」です。

抱きしめるのはもちろん優しさ。そこに「共感」があるのかもしれま
せん。自分が同じ立場なら、寂しいだろうなと。
この「抱きしめる」という行動に責任を果たす自信があるのなら、そ
れはそれで、抱きしめても構わないでしょう。アナタは「優しい」の
だから。

でも、そこに責任が伴わないのだとすれば…?
それは残酷な優しさです。
一度知ってしまった温もり(優しさ)は、心の中に宿り、消えません。
もしも、元の冷たさの中に返る運命になるとすれば…。その優しさは
むしろ残酷でしょう。その温もりを知らなければ、この冷たさをより
冷たいと感じることはなかったことでしょう。
集団の中で孤独を感じることと似ているのではないでしょうか。
始めから一人だったのなら、孤独は感じないでしょう。

無視して通り過ぎるのは、この残酷な優しさを避けるための優しさな
のかもしれません。より不幸な辛さを味わうことのないように。
安楽死の問題と似ているようにも思います。

ただ

その優しさが一時的なモノであると、理解できており、納得できてい
るのならば、その残酷な優しさは「残酷」ではないのかもしれません。
終わりの見えている始まりを納得できているのなら。
初めから覚悟できているのだから、「残酷さ」は少なくなるでしょう。
でも「少なくなる」だけですから…。
やはり以前よりも、負の感覚は鋭さを増してしまうのでしょう。
でも、何も優しさを感じないよりかはマシなのかもしれません。


ボクラは理解と納得ができるのだろうか?
理解と納得はしばしば別の次元に存在しているのだから。
頭では分っていても、心ではどうですか?

「知らなければヨカッタ…」
のか

「少しでも感じられてヨカッタ…」
のか

そもそも
「その優しさを知っていないからヨカッタ」
のか

優しさを知るには、冷たさを知らなければならない。
冷たさを知らないでいるために、優しさを知らないでいるのは
シアワセなんだろうか?

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